📝 更新情報
- 2026年9月5日追記:米国訴訟は18日で双方撤退、重心は深圳の法廷と店頭へ。X6とOsmo 360 IIの第2ラウンド、Insta360の上半期赤字転落まで → 該当箇所
- 2026年6月11日更新:戦線が米国へ拡大。Luna Ultra発売を機に「発売日提訴→翌日反訴」の応酬 → 該当箇所
本文の記述は執筆時点のものを保持しています。
あなたが次に手にする一台は、どの会社が作るのか?

2026年3月26日。DJIが静かに、しかし決定的な一手を打った。
360度撮影対応のFPVドローン「DJI Avata 360」の発表だ。機体単体77,330円から、Fly Moreコンボで159,830円(いずれも税込)。2025年12月に発売されたInsta360系の「Antigravity A1」(標準版209,000円)との価格差は一目瞭然で、同じ市場に向けた明らかな宣戦布告だった。
しかしこの発表には、もう一つのニュースが隠れていた。発表の3日前、2026年3月23日にDJIはInsta360の親会社「Arashi Vision」を深圳中級人民法院に特許侵害で提訴していたのだ。製品発表と同時に法廷戦も始まった。普通の企業間競争とは、明らかに次元が違う。
車で15分の距離にある宿敵
ここで一度、引いた視点で考えてほしい。
DJIとInsta360は、どちらも深圳に本社を構える中国テック企業だ。両社の距離は、車で15分もかからない。DJI創業は2006年、Insta360(Arashi Vision)は2015年。9年の開きがある。規模はDJIの2024年売上が約800億元に対し、Insta360は約98.6億元と14倍の差がある。大人と子どもほどの差があったはずが、この10年で「同郷の宿敵」と呼ばれる関係にまで育ってきた。
この記事で答える問い
ではなぜ、今この時点で全面衝突が起きているのか。そしてどちらが、あなたが手にする次のカメラ・ドローンを作る会社になるのか。
この記事では、DJIとInsta360の対決史をカテゴリー別に振り返り、各戦場の現在の勝敗を整理し、そのうえで今後の見立てを述べる。「DJI Avata 360発表」というニュースは、この10年の文脈の中で読むと、まったく違う意味を持って見えてくる。
DJIとInsta360──深圳同郷、しかし9年の溝

まず両社の素性を押さえておこう。
DJI(大疆創新) は香港科技大学出身の王涛(Frank Wang)が2006年に創業した、世界最大のドローンメーカーだ。ドローン市場の商業用では世界トップシェアを持つと言われ、消費者向けMiniシリーズ、プロ向けMatriceシリーズ、FPV機のAvataシリーズ、スタビライザーのRoninシリーズ、カメラのOsmoシリーズと、撮影機器の広範なラインナップを誇る。2024年の売上は約800億元(1兆円超)。
Insta360(Arashi Vision、影石創新) は劉靖康(JK Liu)が2015年に創業した360度カメラメーカーだ。Xシリーズ(X1〜X5)という360度アクションカメラを中心に、アクションカメラのAce Proシリーズ、自撮り特化のGO 3シリーズなどを展開。2022年から2024年の年複利成長率は65.25%という驚異的な数字を記録し、2025年6月11日に上海STAR市場(688775.SH)に上場した。初日の株価は公開価格47.27元に対して182元(+285%)で寄り付き、時価総額は瞬時に700億元を超えた。
この2社が深圳という同じ土地で、それぞれの「聖域」を9年かけて築き、2025年に互いの領土に踏み込んだ。これが今の競争の本質だ。
JK LiuはWeibo上でDJIを「業界の過独占的存在」と牽制しながらも、「DJIへのリスペクトは深い」と語る。これは外交辞令ではなく、技術者としての本音だろう。そのうえで、彼は競合に侵食されないために、敵の本拠地に踏み込む戦略を取った。
DJI vs Insta360 カテゴリー別対決史

第1戦場:360度カメラ(2016年〜)→「Insta360の9年独占」
最初の戦場はInsta360が開拓した。
2016年、Insta360は消費者向け360度アクションカメラの先駆的製品を市場に投入した。それ以来X1、X2、X3、X4と進化を続け、2025年4月のX5では1/1.28インチセンサーを搭載。Insta360が独自に開発した「FlowState手ブレ補正」「見えない自撮り棒」「AIリフレーム」は業界標準となり、発売から9年間、この市場でInsta360のシェアは85〜92%に達していた。
DJIはこの間、360度カメラに参入しなかった。正確には「参入しなかった」のではなく、「する必要がなかった」のかもしれない。ドローンとアクションカメラという大きな市場で圧倒的な地位を確立していたDJIにとって、360度カメラはニッチすぎた。
その均衡が崩れたのが2025年7月28日だ。Insta360が新ドローンブランド「Antigravity」の参入を発表した、その3日後、DJIは360度アクションカメラ「Osmo 360」を発表した。価格は2,999元と、Insta360 X5より800元安く設定した。9年間に渡るInsta360の独占市場に、DJIが奇襲をかけた。
結果は衝撃的だった。
Osmo 360発売から3ヶ月後、中国市場のGMVシェアでDJI Osmo 360がInsta360を逆転し、約49%のシェアを獲得したというデータが報じられた。ただしこの数字には留保がある。Insta360は「一部の第三者データの正確性を独自に確認できない」と開示資料で反論しており、データソースの信頼性には議論がある。Insta360の2025年売上高が前年比+76.58%成長を続けていることも事実だ。
📍 この戦場の勝敗判定:拮抗、やや DJI 優位
Osmo 360はスペック(センサーサイズ、10bit記録対応)でX5に勝る部分がある一方、交換レンズエコシステム、AIアプリ編集の完成度、コミュニティの厚さではInsta360が依然優位だ。DJIが急速に追い上げているのは事実だが、「完全崩壊」とは言い切れない。
第2戦場:アクションカメラ(2019年〜)→「消耗戦の果て、勝負未決」
アクションカメラという戦場は、両社にとって「相手の土地ではないが、自分の土地でもない」第三の地だ。もともとGoProが支配していた市場に、DJIが「Osmo Action」で2019年に参入。2023年にInsta360が「Ace Pro」をリリースしたことで、三つ巴の戦いになった。
| 世代 | DJI | Insta360 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 2019〜2021年 | Osmo Action / Action 2 | ONE RS | DJI先行、Insta360が追随 |
| 2022〜2023年 | Action 3 / Action 4 | Ace Pro | Ace Proが画質・AIで逆転評価 |
| 2024年 | Action 5 Pro | Ace Pro 2 | 拮抗、DJIが10bit・防水20mで優位 |
| 2025〜2026年 | Action 6(8K対応) | Ace Pro 2(ファームウェア対応) | 初の8K同士の真正面衝突 |
特筆すべきはDJIの価格戦略の攻撃性だ。Action 4を1,129元値下げ、Pocket 3を900元値下げと、Insta360への圧力を価格面でも徹底的にかけてきた(36氪:影石与大疆”贴身肉搏”)。この価格戦争の余波はGoProに直撃し、GoProは消費者向けハードウェアビジネスから事実上撤退しつつある。
📍 この戦場の勝敗判定:長期消耗戦、DJIが価格で・Insta360がAIエコシステムで優位
360度ドローン──Avata 360 vs Antigravity A1の決戦

これが現在最も注目すべき戦場だ。
Insta360系の新ブランド「Antigravity」 は、2025年8月に新ブランドを発表し、12月にA1を正式発売した。世界初の8K 360度撮影対応ドローンで、249gという軽量設計(多くの国で登録不要の重量に収まる)と、AI自動編集・FPVゴーグルによる没入体験を武器とした。日本価格は標準版209,000円〜。
Antigravityという別ブランド
このAntigravityというブランド名、注意してほしい。これはInsta360が直接作ったブランドではない。Insta360がサードパーティと共同で立ち上げた別ブランドで、Insta360本体を直接リスクにさらさずにドローン市場に参入するための戦略的構造だ。
価格の読み誤りと8か月で4回のセール
問題は、価格設定と市場規模の読み誤りだった。Insta360 XシリーズやAce Proで「プレミアム価格でも売れる」という成功体験を持つInsta360側が、アクションカメラ市場とドローン市場の購買層の根本的な違いを過小評価した可能性がある。アクションカメラはスキー・サーフィン・旅行など多様な用途で市場が広い。一方、FPVドローンは操縦免許・機体登録・飛行規制など複数のハードルが存在するニッチ市場だ。
セールの実態が、それを如実に示した。発売からわずか8ヶ月の間に3〜4回のセールが行われた。2026年1月末(15%オフ)→3月の春セール(北米20%オフ)→3月26日の新生活応援セール(日本20%オフ、167,000円)。20%オフでも167,000円は、DJI Avata 360のFly Moreコンボ(159,830円)より高い。価格の正当性が市場に認められていないことは明白だ。
| 比較軸 | Antigravity A1 | DJI Avata 360 |
|---|---|---|
| 先後 | 先行・カテゴリー創出 | 後発・低価格で挟撃 |
| 価格(日本・フルセット) | 167,000円(20%オフ後) | 159,830円(定価) |
| センサー | 1/1.28インチ F2.2 | 1/1.1インチ F1.9 |
| 360度最大フレームレート | 8K/30fps | 8K/60fps HDR |
| シングルレンズモード | 非対応(開発中) | 4K/60fps対応 |
| 重量 | 249g(登録不要の国あり) | 455g(日本では登録必要) |
| 飛行時間 | 最大39分(高性能バッテリー) | 約23分 |
| 伝送距離 | 10km(FCC環境) | 20km(O4+) |
| 全方向障害物検知 | 前方+下方 | LiDAR全方向 |
性能はAvata 360、軽さはA1
カメラ性能と伝送能力ではAvata 360が優位、軽量性と長飛行時間ではA1が優位。しかし価格を同程度に揃えてAvata 360のほうが性能が高い以上、「なぜA1を定価で買うのか」という疑問が払拭できない。海外メディアT3は「Avata 360発売後、A1の価格の説明はほぼ不可能になった」と評している。
📍 この戦場の勝敗判定:DJI Avata 360 優位、A1は現時点で苦戦
特許戦争──製品競争が法廷に飛び火した経緯

2026年3月23日、DJIはAvata 360発表の3日前にInsta360の親会社Arashi Visionを深圳中級人民法院に提訴(中文原文:財聯社)した。
内容は、元DJI社員が退職後1年以内に出願した6特許(飛行制御・構造設計・画像処理)について、中国法上の「職務発明」に当たるとして帰属をDJIに移転するよう求めるものだ。特に「中国での出願時には発明者名を伏せ、PCT国際出願では元DJI社員の実名を記載した」という矛盾が決め手とされている。
JK Liuの反論と28特許という切り札
JK Liuは同日中にWeibo上で全面反論(中文原文:新京報)した。「これらのアイデアはInsta360の内部で独自に開発されたものだ。発明者名を匿名にしたのは、競合の積極的なヘッドハンティングから開発者を守るためだった。」
さらに最もインパクトが大きい数字をJK Liuは突きつけた。Insta360はDJI製品に抵触しうる28の自社特許を特定済みだが、一度も提訴していないというのだ。内訳は、ハードウェア・構造特許11件、ソフトウェア・方法特許8件、制御方法特許6件、アクセサリー特許3件。「規模の小さい企業として限られたリソースを持つ我々は、訴訟よりもイノベーションを優先してきた。」
これはただの言葉ではない。Insta360には実際にGoProとの特許訴訟で勝訴した実績がある。GoProが米国際貿易委員会(ITC)に申し立てた特許侵害訴訟で、ITCはInsta360に有利な最終決定を下した。「戦えば勝てる」という自信の裏付けがある言い方だ。なお、影石は翌3月24日に正式な声明公告(証券時報)を発表し、「訴訟資料は未受領」「涉案専利は非核心」と表明している。
サプライチェーンまで含めた全面戦争
この一連の動きは、製品発表→価格戦→法廷戦という教科書通りの競争エスカレーションだ。さらに報道によればDJIはサプライヤー33社にInsta360向けの出荷を停止するよう圧力をかけたとも言われており、サプライチェーンへの干渉まで含めると、これは完全な「全面戦争」だ。
なぜ今この全面戦争が起きているのか

DJI側の焦り:米国規制リスクと事業多角化の必要性
DJIは米国の国防権限法に基づくリストへの掲載リスクを抱えており、米国市場でのドローン販売に地政学的な影が差している。実際、Avata 360は米国では販売されないと報じられている。ドローン一本槍から脱却し、カメラ・クリエイター市場での収益基盤を作る必要がある。Osmo 360やAvata 360はその一手だ。
Insta360側の焦り:360度カメラへの過依存と成長天井
Insta360はIPO直後という局面にある。上場企業として、360度カメラ市場(売上の80%超を占める)への過依存を打破する成長軸を投資家に示す必要があった。Antigravityブランドのドローン参入は、製品としての成否以上に、「Insta360はカメラ会社を超える」というメッセージだった。
この「双方が攻める必要がある」という構造が、競争を予想以上に激しくしている(36氪:大疆VS影石,天才的烦恼)。どちらも守りに入れない状況だから、どちらも攻め続ける。
2026年以降の見立て──DJI vs Insta360の行方

360度ドローン:DJI Avata 360が優勢、A1は差別化に迫られる
Avata 360が定価でA1を下回る価格帯に切り込んだ以上、A1の価格正当性は失われつつある。A1が生き残るためには、現在開発中とされる「シングルレンズモード」「全方向障害物回避」などのアップデートを早期に実装し、249gという軽量性を軸にした体験価値を明確に差別化するしかない。
ただし、DJIにはAvata 360が売れない市場がある。米国だ。地政学的規制でDJIの販売が制限される可能性があり、この市場ではA1が「唯一の選択肢」として機能する。全地球的な戦いではなく、地域ごとに勝敗が分かれる展開もありえる。
360度カメラ:Osmo 360の台頭はリアルだが、エコシステムの壁は厚い
Osmo 360が短期間でシェアを大幅に取ったデータが存在する一方、Insta360のエコシステム(AIアプリ・交換レンズ・コミュニティ)は一朝一夕には崩せない資産だ。DJIが勝つためには、スペックだけでなく「使い続けたい」体験を設計する必要がある。これはソフトウェアとサービスの戦いであり、DJIがこれまで最も苦手としてきた分野でもある。
特許戦争:決着は長期化、ただし短期的な影響はサプライチェーン圧力
中国の特許訴訟は審理に数年かかることが多く、最終判決が出るまで市場への直接影響は限定的と見るのが妥当だ。しかしDJIがサプライヤーへの圧力をかけているとすれば、そちらの影響のほうが短期的には効いてくる可能性がある。Insta360は28特許を「切り札」として温存しており、反訴という選択肢を常に持っている。
※この見立ては2026年4月時点のもの。その後6月、Insta360は実際に米国で反訴に踏み切った(6月11日の追記参照)。米国訴訟の撤退と中国での再戦、製品の第2ラウンドは9月5日の追記で答え合わせをしている。
大局的見立て:DJIが攻勢、しかしInsta360は消えない
現時点での総合的な見立てを率直に述べる。2026年はDJIが攻勢に立つ年になる可能性が高い。Avata 360の価格戦略はInsta360に刺さっており、Osmo 360のシェア拡大もリアルだ。特許訴訟はサプライチェーン圧力と組み合わさることで、Insta360のコスト構造を圧迫する可能性がある。
しかしInsta360が「消える」とは思わない。9年間のソフトウェア資産とコミュニティという、DJIが短期間では複製できない堀を持っている。IPOで調達した資金を開発に投下し続けられる体力もある。JK Liuは創業者経営者として長期的な視点を持ち、短期の株価より技術的な独自性を優先することを公言している。これはオーナー経営者特有の強みだ。
まとめ──この戦いの勝者はユーザーだ

冒頭に問いを投げかけた。「あなたが次に手にする一台は、どの会社が作るのか?」
答えは、DJIとInsta360の両方だ。そしてどちらも、止まらない。
DJIは360度カメラとドローンの融合領域でInsta360を追い上げ、Avata 360という強力な切り口で360度ドローン市場に本格参入した。Insta360はDJIの本拠地であるドローン市場に踏み込み、苦戦しながらも退かない。特許訴訟は泥仕合の様相を呈し始めているが、それはむしろこの競争がいかに本気かを証明している。
この戦いは「深圳同郷の2社が、互いの聖域に踏み込んだ結果、どちらも聖域を失いかけている」という皮肉な構図でもある。
ただ、最終的に恩恵を受けるのはユーザーだ。DJIとInsta360という二つの世界最高峰の企業が本気でぶつかり合っている戦場の「副産物」を、私たちは享受できる立場にある。2026年、360度ドローンを手にしたいなら、今が最もコストパフォーマンスが高い時期かもしれない。
この戦いの行方を、引き続き注視していきたい。
【2026年6月11日追記】戦線は米国へ──Luna Ultra発売と「発売日提訴→翌日反訴」の応酬
本稿の初版では、特許戦争を「中国・深圳での職務発明をめぐる訴訟」として描いた。しかし2026年6月、戦線は質的に変わった。舞台は米国へ移り、争点はドローン技術からジンバルカメラの新製品へ、そして構図は一方的な提訴から双方向の応酬へ。本稿が描いた「相互の本丸侵攻」が、最も劇的な形で実証された3日間だった。
Luna Ultraという本丸への一撃
発端は、Insta360が初のジンバルカメラ「Luna Ultra」を発売したことだ(6月10日、799ドル前後、Leica共同開発の2眼・1インチ8K・着脱式OLEDモニター)。ジンバルカメラはDJIがOsmo Pocketシリーズで長年独占してきた「本丸」であり、Insta360がそこへ正面から斬り込んだ格好になる。発売初日、Luna Ultraは米Amazonのカムコーダー部門で売上1位を記録した(Engadgetによる発売レポート)。
そしてDJIは、発売当日に提訴で応じた(訴状の内容はPetaPixelが詳報)。その翌日にはInsta360が反訴。応酬のタイムラインはこうだ。
| 日付 | 当事者 | 内容 |
|---|---|---|
| 6/10 | Insta360 | 初のジンバルカメラ「Luna Ultra」を米国発売。初日にAmazonカムコーダー部門1位 |
| 6/10–11 | DJI | テキサス州東部地区連邦地裁に提訴2件。意匠特許2件(Osmo Pocketの外観)+実用特許4件(ジンバル制御・被写体追尾)。米国での販売差止を要求 |
| 6/12 | Insta360 | 反訴2件。自社の実用特許5件(手ブレ補正・方向制御・テレメトリ重畳・パノラマ映像安定化)を主張し、DJIのOsmo Pocket/Ronin/Osmo Mobile/Osmo 360が侵害していると反論 |
テキサス東部地区という選択
注目すべきは、DJIが選んだ法廷だ。テキサス州東部地区は、特許権者(原告)に有利な判決が出やすいことで知られる「定番の戦場」である。中国での訴訟が審理に数年かかり市場への直接影響が限定的だったのに対し、米国での販売差止請求は「Luna Ultraを米国で売らせない」という即効性のある実害を狙ったものだ。戦術が一段エスカレートしている。
Insta360の反訴とJK Liuの言い分
Insta360側の反論も鋭い。CEOのJK Liu(劉靖康)は「我々は製品で語ることを好むが、挑まれれば法的な戦いも辞さない」とし、「Luna Ultraは2020年から始めた独自開発の成果であり、競合製品への反応ではない。発売当日に提訴してきたこと自体が、競争を恐れている証だ」と反訴を発表するリリースでコメントした。反訴で持ち出した5特許が、DJIの主力製品群(とりわけ昨年DJIがInsta360の牙城に攻め込んだ360度カメラ「Osmo 360」を含む)に向けられている点も、「お前の本丸も無傷ではない」という意趣返しになっている。
本稿の見立てパートで「Insta360は反訴という選択肢を常に持っている」と書いたが、それが現実になった。製品の応酬(Osmo 360 対 X5、Avata 360 対 Antigravity A1)に、新製品Luna Ultraと米国法廷という2つの戦線が加わり、全面戦争はいよいよ「総力戦」の名にふさわしい段階に入っている。
【2026年9月5日追記】米国法廷から18日で撤退、重心は深圳と店頭へ
6月の追記では、Luna Ultra発売日のテキサス提訴とそれに続く反訴を「総力戦」の始まりとして書いた。それから3か月で、戦いは三つの方向に動いた。米国の法廷戦は18日で終わり、訴訟の重心は深圳に戻り、製品戦は360度カメラの次世代機で正面衝突した。そしてInsta360の上半期決算には、この戦いの先払いが出た。
テキサスの18日間
6月28日、DJIとInsta360は東部テキサス連邦地裁の4件(DJIの提訴2件、Insta360の反訴2件)について、そろって取り下げを申し立てた。翌29日、裁判所は再提訴を妨げない形(without prejudice)で終結させたと報じられている(DroneXL)。6月10日の提訴から28日の取り下げまで18日。和解の公表は確認できていない。DJI側はグローバルな商業戦略と訴訟資源配分の見直しであり、権利行使の姿勢は変わらないと説明し、Insta360側は提訴も撤回も通常の法的戦略だとした(新浪財経)。
撤退の理由を両社は語っていない。私はこう読む。テキサスを選んだ狙いは、Luna Ultraが売れている間に米国の棚から下ろすことだった。反訴でOsmo Pocket・Ronin・Osmo Mobile・Osmo 360という自社の主力4系統が争点に載り、短期で差し止められる見込みが立たないなら、ディスカバリー費用を払ってまで続ける理由は薄い。6月の追記で書いた「即効性のある実害」を狙う戦術は、即効性が見えないまま畳まれた。
深圳での再戦──侵害4件、権属6件
米国を畳んだ両社の次の動きは、7月3日に相次いで報じられた。DJIはLunaシリーズを相手に中国の複数の裁判所で特許侵害訴訟を起こしており、深圳中級人民法院の案件((2026)粤03民初5158号)は8月3日に開廷が予定された。争点は手持ちジンバルの制御方法、撮影方法、着脱式コントローラなど、Osmo Pocketの根幹にあたる特許である(新浪財経)。同じ日、Insta360はDJIの360度カメラとジンバル製品を相手に6件の対抗提訴を中国各地で起こしたと発表し、パノラマ撮影・編集、バレットタイム、放熱、拡張、ジンバル支持の各技術で侵害を主張した。あわせて国家知識産権局にDJI特許の無効審判も請求している(騰訊新聞)。
Insta360が8月末に開示した2026年半期報告は、両社の間に主要な特許侵害訴訟4件と特許権属紛争6件があり、いずれも一審係属中だと記している(新浪財経)。その時点で判決はない。8月3日の開廷が予定どおり行われたかは、公開情報では確認できていない。初版で中国の特許訴訟は数年かかり、市場への直接影響は限定的と書いた見立ては、半年経ってもそのままである。ただし重心が深圳に戻った意味は小さくない。中国での差止は、範囲次第で製造そのものを止める。米国の販売差止より、Insta360にとっては重い。
製品戦の第2ラウンド──1日差の発表と2万円差の値付け
法廷が静かになった夏、店頭は騒がしかった。3か月の発売を日本市場で並べると、両社が互いの本丸に次世代機をぶつけたことが分かる。
| 日本発売日 | 製品 | カテゴリ | 日本価格(税込) | 要点 |
|---|---|---|---|---|
| 6/15 | Insta360 Luna Ultra | ジンバルカメラ | 119,800円 | Leica共同開発の2眼。DJIの本丸に初参入 |
| 6/29 | DJI Osmo Pocket 4P | ジンバルカメラ | 99,000円 | Pocket初の2眼。1インチ+60mm中望遠。7/30に世界展開、米国では未発売 |
| 8/12 | Insta360 X6 | 360度カメラ | 118,000円 | 1/1.1インチ2眼・ネイティブ8K30fps・カメラ内Dolby Vision対応。米国では699.99ドルで発売 |
| 9/2(中国発表は8/13) | DJI Osmo 360 II | 360度カメラ | 93,610円 | 8K60fps・レンズ交換式・内蔵105GB。米国では未発売 |
X6の発売からOsmo 360 IIの中国発表まで、わずか1日である。日本では、Insta360がジンバルカメラに参入した2週間後にDJIがPocket 4Pを20,800円安で出し、X6の3週間後にOsmo 360 IIが24,390円安で並んだ。初版で「Osmo 360の台頭はリアルだが、エコシステムの壁は厚い」と書いた。DJIの答えは二つで、初代に無かったレンズ交換を採用してInsta360の長所を取り込み、そのうえで価格を下に置いた。Insta360もX6で前モデルX5より3割大きいセンサーを積み、カメラ内Dolby Visionという新しい差別化を持ち込んだ。互いの長所を写し取り合う競争が、1日差で回っている。価格差が乗り換えに結びつくかは、年末商戦の販売動向を見るしかない。
戦費の先払い──売上5割増で赤字転落
Insta360の2026年上半期は、報道によれば売上55.2億元(前年同期比50.3%増)に対し、純損益が9,425万元の赤字に転じた。研究開発費が10.07億元(79.3%増)、販売費が10.17億元(62.0%増)と、売上の伸びを費用の伸びが大きく上回った。原材料高と販売価格への圧力も利益を削ったとされる(観点網)。上半期は6月までなので、X6やLunaの成否はまだ数字に入っていない。入っているのは、ドローン、ジンバルカメラ、自社チップという三つの新戦線への先行投資である(36Kr)。初版の見立て「IPOで調達した資金を開発に投下し続けられる体力」は、投下の事実として現れた。体力が持つかは下期の数字で分かる。
DJIは非上場で決算を開示しないので、同じ物差しでは比べられない。Insta360の創業者は短期の利益を犠牲にして長期の技術障壁を築くと株主に説明しており、これはオーナー経営者の宣言としては一貫している。問題は、その障壁が完成する前にDJIの第3世代が出るかどうかだ。
米国という変数──規制が競争条件を変える市場
初版で「地域ごとに勝敗が分かれる展開もありえる」と書いたが、米国ではそれが制度として固まりつつある。2025年12月22日、DJIの製品を含む外国製ドローンとその関連機器はFCCのカバードリストに載り、対象機器は新たなFCC認証を取得できなくなった。Pocket 4PもOsmo 360 IIも米国では発売されていない。一方のInsta360は、DJIを名指しした2025会計年度国防権限法1709条の対象ではなく、X6は8月12日に米国の店頭に並び、Antigravity A1も売られている(DRONELIFE)。この2社の新型機に限れば、米国のカメラ売り場で買えるのはInsta360だけになった。
さらに7月21日、FCCはLiDARや熱画像を持つドローンを「軍用級」に分類し、認証済みの外国製ドローンについても輸入・販売の停止を提案した(PS Docket No. 26-189)。意見募集は9月2日に締め切られ、DJIは同日に26ページの反論を提出したと報じられている(DroneXL)。採択されれば180日の猶予を経て施行される見込みで、時期は未確定である。カバードリストは外国製ドローン全般に及ぶため、Antigravityの次の機体も同じ壁に当たる。非対称なのはカメラだ。DJIが特許で押し、Insta360が価格で押される構図の外側で、米国のカメラ売り場では規制が競争条件を決めている。深圳の2社の勝敗を、ワシントンが一部書き換えている。
見立ての答え合わせ
初版と6月追記で書いた見立てを、9月時点の事実と並べる。
| 執筆時の見立て | 9月時点の事実 | 判定 |
|---|---|---|
| Insta360は反訴という選択肢を常に持っている | 米国で反訴し、18日で双方撤退。中国で6件の対抗提訴と無効審判へ | 実行された。舞台は変わった |
| 特許戦争の決着は長期化する | 侵害4件・権属6件が一審係属中。判決なし | 係属継続。長期化は進行中 |
| Osmo 360の台頭はリアルだが、エコシステムの壁は厚い | Osmo 360 IIがレンズ交換を採用し、X6より24,390円安で日本発売 | 価格差は確認。壁の帰趨は未定 |
| 米国ではA1が「唯一の選択肢」として機能する | X6・Luna Ultraも米国で発売、DJIの新型機は未発売。FCCは規制拡大を提案中 | 販売状況の差として実現。規制は審議中 |
| IPO資金を開発に投下し続けられる体力がある | 上半期は売上5割増で赤字転落。研究開発費8割増 | 投下は事実。余力は下期次第 |
まとめで「この戦いの勝者はユーザーだ」と書いた。3か月後、その代金を先に払っているのがどこかもはっきりした。Insta360の利益である。次の答え合わせは、深圳中院の一審判決か、DJIの360度カメラ第3世代か、どちらか早いほうになる。
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外部リンク・参考ソース
製品・公式情報
- DJI Avata 360 正式発表プレスリリース(PR TIMES)
- Antigravity A1 公式サイト(日本語)
- Antigravity A1「最大20%オフ」日本セール(PR TIMES)
- Insta360 Luna Ultra 国内発表(デジカメ Watch)
- DJI Osmo Pocket 4P 発売(PRONEWS)
- Insta360 X6 発表(PR TIMES)
- DJI Osmo 360 II 日本発売(DJI JAPAN・PR TIMES)
- Osmo Pocket 4P グローバル発表(DJI・PR Newswire)
競争・価格戦・製品比較
- 影石与大疆”贴身肉搏”:从价格血战到研报暗战(36氪・中文)
- 大疆VS影石,天才的烦恼(36氪・中文)
- Insta360 vs DJI 価格戦争の実態(36kr・英語版)
- DJI Osmo 360発表レビュー(DPReview)
- DJI Avata 360 vs Antigravity A1 比較(T3)
- Avata 360は米国では販売されない(Gizmodo)
- 中国ドローン競争過熱(日本経済新聞)
特許訴訟・法務
- DJI vs Insta360 特許戦争の詳細(DroneDJ)
- DJI Sues Insta360 as Rivalry Escalates(Caixin Global)
- 专利权属成大疆影石争议焦点(財聯社 via 新浪財経・中文)
- Insta360 CEO JK Liu 反論全文・英訳(thenewcamera)
- 影石创新刘靖康回应”大疆起诉”(新京報・中文)
- 影石发公告回应大疆专利诉讼纠纷(証券時報・中文)
- Insta360 Beat GoPro — サプライヤー圧力とGoPro訴訟勝訴の経緯(Chinesellers)
- DJI, Insta360 Quietly Drop Their Texas Patent Suits(DroneXL)
- 大疆诉影石,8月3日开庭(新浪財経・中文)
- 影石对大疆发起6项专利反诉(騰訊新聞・中文)
- Insta360, DJI Take Different Paths in U.S. Market(DRONELIFE)
- FCC Covered List 追加告示 DA 25-1086(2025年12月22日・原文PDF)
- FCC PS Docket 26-189 意見募集(Federal Register)
- DJI Tells FCC Its Military-Grade Drone Ban Was Invented In-House(DroneXL)
IPO・企業情報
- Insta360 STAR市場上場、初日+285%(EqualOcean)
- 影石上半年增收降利,和大疆还有10起官司未判决(新浪財経・中文)
- 影石创新上半年营收55.2亿元 增长50.29%(観点網・中文)
よくある質問(FAQ)
DJI Avata 360とAntigravity A1はどちらがおすすめですか?
2026年3月現在、性能・価格のバランスではDJI Avata 360が優位です。8K/60fps HDR・全方向LiDAR障害物検知・O4+伝送をフルセット159,830円(税込)で実現しています。ただし249gの軽量設計で機体登録不要を重視するならAntigravity A1も選択肢です。
DJIはなぜAvata 360発売直前にInsta360を訴訟したのですか?
2026年3月23日、DJIは元社員の職務発明に関する6特許の帰属をめぐり、Insta360の親会社Arashi Visionを提訴しました。Avata 360発売の3日前というタイミングは偶然ではなく、法廷戦術と製品発表を組み合わせた複合作戦と見られています。
Insta360はIPOしていますか?
はい。Insta360(Arashi Vision、688775.SH)は2025年6月11日に上海STAR市場に上場しました。公開価格47.27元に対し初日終値182元(+285%)を記録し、時価総額は700億元超に達しました。
DJI Osmo 360とInsta360 X5はどちらが優れていますか?
スペック面ではDJI Osmo 360が大型センサー・10bit記録・低価格で優位。ただしInsta360 X5は交換レンズ対応・AI編集アプリの完成度・コミュニティ資産が強みです。用途と重視する点によって選択が変わります。